オシュ市での対立は失業が遠因では?

キルギス南部のオシュ市で、キルギス系住民とウズベク系住民の衝突があり、多くの死亡者が出ているニュースや、ウズベキスタンに脱出しようと国境に詰め掛けている人たちのニュースに心を痛めています。

ちょうど昨日、霞ヶ関の日本プレスセンターで日本ウズベキスタン協会の第10回総会があり、2009年度の決算と2010年度事業計画が拍手で承認された後、

引き続き、「最新中央アジア経済とキルギス情勢」という演目での講演が行なわれました。


3人の方々はそれぞれ。。

田中哲二さん。 日本キルギス交流協会キルギス中央銀行顧問および大統領顧問、カザフスタン文部大臣顧問、ウズベキスタン銀行協会顧問など

真ん中に座っている人です。


浜野道博さん。この人も日本キルギス交流協会の人です。写真では左側にいる人


司会:蔦信彦さん
日本ウズベキスタン協会会長  右側の人です。

キルギス共和国からの留学生も10名くらい参加していて非常に熱心に聞き入っていました
この講演の最後のほうで、田中さんが、「キルギスの若者たちが職に就けるようにみなさんに協力をお願いしたい」との発言が印象的でした。

キルギスの大部分を占めるキルギス人は遊牧民で、1人あたりのGDPは2008年で951ドル(日本円で約10万円)、 隣国のカザフスタン(同じくGDP8,502ドル;約90万円)やロシア(15,921ドル;約170万円)に建設労働者として出稼ぎに行かないといけない状態にあり、しかし最近はそれらの国が失速して職を失っている状況だとのこと。
しかも25歳以下が半数以上を占めるため、ますます若者の失業率は高まる傾向にあるのだそうです。

ここで考えるには、恐らくは、その中でたまった不満がすぐ身近にいる「ちょっとだけ豊かな都市住民」に向ったものなのでしょう。

オシュはもともと農業や商業を主体とするウズベク人の多い町でしたが、ソ連時代に、キルギスタン社会主義共和国の統治機構を作るうえでは、都市が欠かせない、ということでウズベキスタンではなくキルギスタン編入された経緯があります。
定住しない遊牧民キルギス人)だけでは行政をいきわたらせることが非常に困難になるからです。

国境を越えてオシュの大学に通っているウズベキスタン共和国の学生もいるそうです
(もともとウズベキスタンウズベク人農家地帯とは地続きで、国境は後からできたものです)

国境で分けて考える場合には、ウズベク人地区が孤立して存在しているようなものですので、自治区を求めようという運動も前大統領失脚後あり、都市住民に対する反感や妬みを周辺のキルギス人からかったことがありそうに思えます。
 
同じような町(ウズベク人が多数を占める都市を統治のために別の国の都市にする)はトルクメニスタンにもありますが、幸いにして天然ガスの恩恵を受けるトルクメニスタン(GDP3863ドル)のほうがウズベキスタン(1027ドル)よりも豊かなので問題になりにくいのでしょう。

注意:2008年のドル・円相場は 110円から100円くらいの間で変動し
ていましたので約105円で換算しています